毎日同じ服を着て、同じ角度で自撮りを投稿し、音楽を紡ぐ。
そんな僕が、日常生活で「しない」と決めていることがある。※1
それは、家でおむすびを握ることだ。
一見、自炊は「節約」の代名詞であり、美徳とされる。
しかし、僕にとって家でおむすびを握る行為は、未来の自分に対する「不当な搾取」に他ならない。
今回は、なぜ僕がファミリーマートで300円を払い、あえて「塩おむすび」を買うのか、その冷徹な計算式を公開したい。※2
1. 「時給960円」という、安すぎる労働への拒絶
まず、算数的な話をしよう。
家でおむすびを2個作る場合、米代は約60円。ファミマで買えば300円。その差額は240円だ。※3
炊飯、握り、洗い物……どんなに手際よくやっても15分はかかる。
240円を15分で稼ぐ。これを時給換算すると960円だ。※4
僕は自分の時給を1,000円以下だとは思っていない。
もし僕が台所で米を研いでいるとしたら、それは「自分というリソースを、市場価格以下の労働に投下している」ことになる。※5
アーティストとして、自分の価値を安売りすることは、表現の死を意味する。
2. 「20代の15分」は、30代の150時間分に相当する
「たかが15分じゃないか」と思うかもしれない。
しかし、僕は20代の過ごし方で、30代以降の人生が決まると確信している。
20代における15分は、単なる0.25時間ではない。それは未来への複利が最も高くつく「黄金の投資枠」だ。
おむすびを握る15分があれば、
- 新しいギターの音色を一つ作れる。
- コミュニティのメンバーにメッセージを返せる。
- あるいは、次回作の構想を練ることができる。
この15分から生まれる「創造」が、10年後にどれほどの価値を生むか?
おそらく、240円の節約など比較にならないほど巨大な資産になっているはずだ。※6
結論:30代で笑うために、僕は今300円を払う
僕は今、お金を稼ぐことよりも、自分を「資本」として磨き上げることに全振りしている。
240円を節約して満足する20代ではなく、300円を払って自由な15分を買い、その時間で世界を驚かせる表現を生み出したい。
僕がファミマでおむすびを手に取る時、それはただの空腹を満たすためではない。
「自分の時間を、安売りしない」という、未来への投資の決済ボタンを押しているのだ。
だから、僕は明日も、ファミマに行く。


追記
誤解を生みそうな表現や補足を追記します。
※1 しないと決めているといっても、たまには自分で作るかもしれないし、その意味が見出せたら自分で作ります。
※2ファミリーマートに限らず、他のコンビニやスーパーでも買います。動線上にあるかどうかが大事です。
※3 米の価格によります。今は米が高いです。
※4 15分を時給換算しても意味がないように思えますが、僕は常に何かをしていて余白の時間を作っていないので、仮に時給が1200円だとしたら寝ている時間以外は常に1200円の時給が発生していて、その中のどの15分を切り取っても300円です。
アルバイトの勤務時間中にどの15分を切り取っても300円になるのと同じです。常に勤務時間中です。
※5 無洗米にすればいいじゃないかと思うかもしれませんが、「15分を13分に短縮する」みたいな次元の話ではなく、「どうでもいいことに時間を割かないこと」がこの話の本質です。具体的にしたのは分かりやすくするためです。
※6 喩えから派生した話なので「創造」に着地してますが、投資するのは「自分」という「事業」です。たった1つの作品が将来的にいくらの価値を生み出すのか自体はあまり重要ではありません。


