いちまつ式博愛主義

いちまつ式博愛主義 ICHIMATism 1.0
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今までの投稿の中にもあるように、
自分は博愛主義だと自認している。

そもそも博愛主義とは?

人権・国家・階級・宗教などの違いを超えて、人類は広く愛し合うべきとする主義。

引用元:コトバンク 博愛主義

今回は自分なりの博愛主義の捉え方として、
“愛する”という要素を
“嫌わない”という要素に転換し、
「どんな人であっても嫌わない主義」という意味で考えよう。

なぜ博愛主義という生き方をしているの?
理由は
自分の活動において必要
だと考えているからだ。

とは言っても、
人を嫌わないなんて
先天的にそういった性格でないと
かなり難しい。

だから博愛主義を実践する為に
まずは、人と人の距離感に着目した。

例えば、
自分の事を殴ってくるような人は
嫌いだけど、

手の届かない所まで離れたら
気にならない。

このように、
自分に危害を加えてくる人がいた場合、
その危害が及ばない距離を作れば
嫌いにならないと考えたのだ。

とは言っても
いつでも距離を作れるとは限らないし、

価値観が合わない人の事は
距離に関係なく外野の目線からでも
嫌ってしまいそうになるだろう。

だから次に期待値に着目した。

例を挙げるなら、
余程の変わり者でない限り、
産まれたての赤ちゃんに対して
「泣くな」
と説教をしないだろう。

言葉を理解できない
ということを知っているからだ。

つまり、
赤ちゃんに「泣かない」事を
期待していないのだ。

では相手が一般的な中高生だとどうだろう?

「泣くな」
と説教をするかもしれない。

泣く事を自制できるし、言葉も理解できる
と知っているからだ。

相手の年齢が上がるにつれて、
説教をする可能性は高くなる。

つまり
「泣かない」事に関しては
年齢が上がるにつれて期待値が高まる。

だから期待値が高まった分、
年長者が泣いていると違和感が生まれる。

その違和感、未知のものに対する恐怖が
嫌悪感に繋がるのだと思う。

この事から考えられるように
嫌いだと感じている人の
嫌いな要素を分解して考えると

自分が相手に
何を期待していたのかが分かる。

そして期待外れだった場合、
それは期待外れではなく
期待しすぎなのだ。

その過度な期待が
嫌いという感情を生んでいるのだ。

だから博愛主義を実践する場合には
その期待は早急に取り下げる必要がある。

「この人にここまで期待してはいけなかった、いけないいけない」
と考えよう。

そうして、
相手の全ての行動が、
相手に課している期待を上回る
仕組みを作るのだ。

このように自分は
距離感、期待値
という二つの事を意識して
博愛主義を実践している。

博愛主義な人が増えたら
無駄な争いは無くなると思うからだ。
だから、
もし気になったなら是非試して頂きたい。

コメント

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