“キザな正直者”
2020年2月現在、instagramのプロフィール欄に書いている
自己紹介文の一節だ。
そもそもなんとなく使いがちな”キザ”とはどんな意味なのか?
キザな?
weblioにある実用日本語表現辞典の「キザな」のページには
「キザ」は言動や態度に気取っている様子があり、嫌な感じがするさま。人やその振る舞いがキザであることを表す語。
Weblio辞書「キザな」
と書いてある。
これまでの投稿を読むと分かるように、
実際には気取っているわけではなく、
自分自身の経験、知識、身体的特徴に基づいた
自分の主義にただ従っているだけなのだけれど、
よく知らない人が客観的に見ると
キザに見えるのも無理ないよね〜という
ちょっとした遊びの意味で書いている。
キザについてはそれだけの理由だからキザの話はこれで終わり。
正直者?
そんな”キザ”とは対立するような意味にも感じる
“正直者”という表現。
自分自身を正直者だと思う理由として、
まず嘘をつけない。
嘘をつけない病気があるとしたら
自分はそれだと思うくらいに。
ちょっとしたジョークの中で
誰でも分かるような嘘をつくことはできるが、
物事に感想などを求められた時はすごく苦しい。
こだわりの強い自分にとって、
こだわりに反するものを
無条件に肯定する事は嘘になる。
正直に感想を言うと
場の空気を壊しかねない。
だからそういった場面では頭をフル回転させて
いわゆる”しずかちゃん言葉”に変換して話すか、
頑張って違う話に転換するしかない。
心が広くないと自覚している人や
いつも場の空気を壊さない事を心がけている人は
自分に感想を求めないでほしい。
きっと空気を悪くしてしまうか、しずかちゃんになってしまうから。
でも本当に悩みを解決したい時や
本当の意見を聞きたい時には
意見を求めてくれたらきっと力になれるだろう。
そして正直者である為に
自分自身に対しても正直に生きている。
例を挙げるなら、
生意気に思われるかもしれないけれど
自分は年の差を基準に接する態度を変えない。
それは年上だけでなく年下に対しても同じで、
年下だとしても
その人が自分よりも優れた要素も持っている可能性はあるから、
初対面ではまず敬語を使うようにして、
ある程度話して仲良くなってからは
タメ口での会話を提案する。
「年齢が高い人の方が人生経験があるから敬う。」
と言って尊敬しようとする人が多いけれど、
それは全ての人が同じペースで一緒に成長している場合に限ると思う。
もちろんそんな事はないよね。
細かく目標を作って日々努力して生きている人もいれば、
何も考えずにただ時間に流されて還暦を迎える人だっている。
誰が偉いという話ではなく、
能力値で接する態度を変えようという事なら
年齢だけを判断基準にするのはおかしいよねという話。
偏見を良くないものとする空気感は確かにある。
その中でもまだ偏見で生きてしまっている人が多いように感じる。
自分は偏見というか、
答えを出す前にまず外的な要素から仮説を立てて、
確かめながら人付き合いをする傾向があるから、
断定していなければ偏見も悪くは無いと思う。
社会がそういうルールだとしても、
正直者として正直にイチマティズムに従うのが
自分の生き方なのだ。
そんな正直者になった背景として、
自分は博愛主義者だからという事が考えられる。
でもこれ以上に話が二転三転するとややこしくなるから
それは別の機会に書こう。
決して自分以外の思想を否定するつもりはないが、
自分の生き方もまあ悪くはないと思っているから
あなた自身に必要なものは取り入れてくれたら嬉しい。
そんなワケで今回も”キザな正直者”による自分語りの投稿だった。