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食事のマナーは厳守すべきなのか。一人で食事をする理由。

この記事を書いた人
市松 蓮(いちまつ君)

自撮りや音楽をNFTとして販売したり、『#イチマティズム』というブログを書いたり、『#いちまつ君の左脳』というオンラインコミュニティを運営したり、毎年クリスマスに公園で洗顔したりしています。

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世の中には食事のマナーに関する話題が
たくさんある。

テレビ、雑誌、インターネットなどの
メディアによる
「テーブルマナー特集」

SNSの中で目立っている
「食事のマナーが悪い人を許せない」
といった内容の投稿、

自分が学生時代に受けていた
マナーの授業。

その全てが
「食事のマナーは厳守すべき」
という前提で作られたものである。

これらの話題を見かけるたびに

違和感を感じる。

自分は
食事のマナーは厳守しなくてもいい
と考えている。

この世の全てのマナーが無くなれば良いとは思わないが、

少なくとも必ず守らないといけないというほどのものではないと思う。

今回はそう考える理由について述べていこう。

マナーは何のために存在するのか?

そもそもマナーは何のために
存在するのか?

ほとんどのマナーが
相手がどう思うか
を基準に決められていることから
考えると、

相手のため
思いやりのため
存在するのではないだろうか?

マナーは思いやりに適した方法?

しかし
実際にマナーは
思いやりに適した方法なのだろうか?

例として、

二人の人間がいて

お互いが「相手のため」を基準に

行動をすると、

どちらかの行動が
マナー違反になることがあると思う。

例えば


ヨーロッパから来た友人と
日本にいる自分が
日本で和食を食べるときに

自分は洋食文化の友人に合わせて
洋風に食器(茶碗)を机に置いたまま食べ、

友人は和食文化の自分に合わせて
和風に食器(茶碗)を持って食べると、

お互いが「相手のため」を考えた
思いやりの行動をしているのに、

行動だけに着目すると、

茶碗を持たずに食べた自分は
和食文化のマナー違反をしている
ことになる。

このようにマナーは

相手のため」の行動としては

うまく機能しないこともある。

だから

思いやりに適した方法ではない
と思う。

感情には
個人差があり、
また状況によって変化する

その一方、マナーは

基本的には変化しないし、
相手の感情に合わせるための
柔軟性がない。

だからマナーは

思いやりの行動ではないし、

相手のためのものではないと思う。

[マナー]=[思いやりの行動ではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]

マナーは個人的に楽しむためのもの

マナーが
思いやりの行動ではない、

相手のためのものではない

ならば、

相手のためではなく
自分のため、

個人的に楽しむために
存在している
のではないだろうか。

[マナー]=[思いやりの行動ではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]=[個人的に楽しむためのもの]

[マナー]=[個人的に楽しむためのもの]

マナーは趣味

マナーが個人的に楽しむために
存在するならば、
“マナーは趣味“とも考えられる。

[マナー]=[思いやりの行動ではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]=[個人的に楽しむためのもの]

[マナー]=[個人的に楽しむためのもの]

[マナー]=[個人的に楽しむためのもの]=[趣味]

[マナー]=[趣味]

趣味の邪魔をするのは良くない

マナーが趣味だとして

趣味について考えてみる。

自分の趣味のために

他人の趣味を邪魔するのは良くない。

倫理的に許されない趣味を除いて、

人には趣味を楽しむ権利があり、
邪魔をしてその権利を
奪ってはいけないからだ。

マナーが趣味だとして

この考えをマナーにも応用して考えると、

自分のマナー(趣味)のために

他人のマナー(趣味)を邪魔するのは良くない

ということになるだろう。

例:「この食べ方は行儀が悪い」など

この食べ方”を否定することは

相手の“趣味“を否定することになるから

良くない。

この食べ方”を“行儀が悪い”と思うのは

個人の“趣味“でしかないから。

雰囲気・コンセプトを共有する趣味

マナーを全面的に否定する内容に

なってしまいそうだが、

ここで例外を述べておくと

中には必要なマナーもあると思う。

趣味の中でも

雰囲気やコンセプトを

その空間にいる一人一人が
ルールを守ることで作り出し、
みんなで共有して楽しむという

趣味の場も存在する。

  • 高級レストラン
  • コンセプトバー
  • メイド喫茶

などが

雰囲気やコンセプトをみんなで共有して楽しむ

趣味の場の代表的なものだと思う。

こういった場所では

マナーを守る必要があるのだろうか?

趣味を楽しむためには必要なマナーがある

これらの空間を代表とする趣味の場
雰囲気が保たれていることで

空間が成り立つ。

だから
趣味の場では
ルールを守らないといけないと思う。

ルールを守らないと雰囲気を壊し、
結果として趣味を邪魔すること
なってしまうからだ。

趣味を邪魔することは良くない。

だから
食事のマナーを趣味だと考えると、

他人の趣味を邪魔しないためには

例外として

趣味を楽しむためには必要なマナーがある

ということも言える。

ただし、ルール違反が必ずしも悪とは思わない。

趣味の場への初めての参加で
ルールを知らなくて

うっかりルール違反をしてしまうことも

あるかもしれないからだ。

ルールを知らなくてしてしまう違反は

悪いことではないと思う。

(免許、資格が必要な分野を除いて)

ただし、大切なことは

これからルールを覚えて
その空間の雰囲気を作る一員になろうとする
誠意だと思う。

その誠意があれば

皆が気持ちよく趣味を楽しむことができると思う。

マナーは文化

マナーが個人的に楽しむために
存在するならば、
マナーは文化とも考えられる。

[マナー]=[思いやりの行動ではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]

[マナー]=[相手のためのものではない]=[個人的に楽しむためのもの]

[マナー]=[個人的に楽しむためのもの]

[マナー]=[個人的に楽しむためのもの]=[文化]

[マナー]=[文化]

文化の多様化

文化は歴史とともに多様化している。

食べ方の文化だと

  • 食べものを手で持って食べる人
  • 食べものをお箸を使って食べる人
  • 食べものをスプーン、フォークを使って食べる人
  • お皿を持って食べる人
  • お皿を持たずに食べる人

そして最近では、

  • テレビを見ながら食べる人
  • スマホを見ながら食べる人

といった様々な文化を持つ人がいる。

他人の食べ方の権利を奪い取ってはいけない。

テレビやスマホを見ながら食べる人に
対して、

「マナーが悪い」と言う意見を
よく耳にするが

テレビやスマホを見ながら食べることも
立派な文化の一つだと思う。

人間には
自分の文化を楽しむ権利がある。

邪魔や否定をすることで
他人の文化を奪い取ってはいけない。

だから

マナーを盾にして他人の食べ方を否定することは

相手の権利を奪うことになり、良くないと思う。

もしお節介として

健康面での問題を指摘したいなら

選ぶべき言葉は

「マナーが悪い」ではなく「身体に悪い」だろう。

まあ自分の意見としては

テレビやスマホを見ながら食事をすることが

直接的な健康被害を生むことは

なかなか無いと思うが。

他人の健康に口を出すには

それなりの知識を持ち合わせる必要があると思う。

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