食事のマナーは厳守すべきなのか。一人で食事をする理由。

食事のマナーは厳守すべきなのか? ICHIMATism 1.1
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食事のマナーでは人柄を判断できない

予想される反論意見についても

言及しよう。

「食事のマナーには人柄が出る」という
意見をよく聞くが、
これについては否定させていただきたい。

ここまで述べてきたように

食事のマナーは趣味、文化だとして

考えてみる。

もし、趣味や文化で
人柄を判断できるとしたら、

それに伴って

食事のマナーに人柄が出ることにも
納得できる。

しかし実際はそうではないと思う。

一つの趣味、文化の中にも
様々な人柄の人間がいる。

それぞれの趣味、文化の中に

似たような人が集まる傾向はあるかもしれないが、

必ずしも似たような人ばかりとは
限らない。

趣味、文化を使って判断ができることは
精度の低い占いの結果のようなこと。

「なんとなく当たっているような気もするが

当たっていないことも多いな〜」

といった程度だと思う。

だから趣味、文化は

“人柄を判断する材料“としては不十分だと思う。

食事のマナーが趣味、文化ならば

食事のマナーにおいても

同じように考えられるから

食事のマナーでは人柄を判断できないと思う。

どうしてマナー違反が許せないのか。

ここまではマナーの必要性を否定してきたが、

現状として

マナー違反が許せないと考えている人がいるのも
事実だと思う。

では、どうしてマナー違反が許せないのか?

またマナー違反が許せないならどうしたら良いのか?

最後にこの点について述べようと思う。

価値観の壁

マナー違反が許せない理由には

価値観が深く関係していると思う。

マナーが趣味文化だとして考えてみる。

趣味や文化を構成する大きな要素は
価値観

趣味や文化が合わないということは

価値観が合わないとも言えると思う。

マナーが趣味や文化なら同じように、

マナーが合わないということは

価値観が合わないとも言えると思う。

マナーが合わない”という言い回しは

言葉の表現として違和感があるから

少し修正して言い換えると、

マナー違反が許せないということは
価値観の壁を乗り越えられていないということ。

冒頭の“どうしてマナー違反が許せないのか?“の回答は

価値観の壁が乗り越えられていないからになる。

マナー違反が許せない=価値観の壁を乗り越えられていない

愛情の深さ

世の中には
価値観の壁を越えた
恋愛関係友人関係があると思う。

そのような恋愛関係や友人関係において、

価値観の壁を乗り越えるための重要な要素となっているのが

愛情の深さだと思う。

恋愛関係においての愛情は

そのまま、恋愛的な愛情

友人関係においての愛情は

恋愛的な意味ではなく、

「友愛」という言葉で表すような愛情。

つまり友愛的な愛情のことを指している。

価値観の違う人たちが

愛情の深さによって価値観の壁を越えて

恋愛関係、友人関係を結ぶことができているなら

価値観の壁を乗り越えられていないということは

愛情が足りていないということが考えられる。

前で述べたように

マナー違反が許せない=価値観の壁を乗り越えられていない

ということから考えると、

マナー違反が許せないということは
愛情が足りない
のだ。

また、逆説的に考えると

愛情が深まれば

マナー違反も許せるようになるかもしれない。

だから

冒頭の“マナー違反が許せないならどうしたら良いのか?”の回答は

愛情を深めようということになる。

※余談として、

女性が好きな男性に対して、この説明をする時に、

「マナー違反が許せないとしても、深キョンなら許せるよね?」

と聞くと即答で同意してもらえる事が多い。

世の男性の深キョン愛は強い。

価値観の壁を乗り越えられていない=愛情が足りていない

マナー違反が許せない=価値観の壁を乗り越えられていない=愛情が足りていない

マナー違反が許せない=愛情が足りていない

世の男性は深キョンが好き

食事のマナーは必要ない

マナー違反が許せないのは愛情が足りていないから
ということであれば

逆説的に考えて、

愛情が足りていない相手と食事をする場合には
マナーが必要
になる。

しかし自分は
愛情が足りていない相手と食事をすること自体に
疑問を感じる。

確かに、
食事をきっかけにすれば

出会ったばかりの相手でも気軽に誘いやすく

親交を深める機会が作れるかもしれない。

しかし
自分の経験からしても、また周りの様子を見ていても

食事だけをきっかけに
親交が深まることは滅多にない
と思う。

きっかけとしては便利だけど

その後の親交の深まりに直接的な関係はない

ということだ。

一緒に食事をしてから親交が深まったという

経験をお持ちの方も多いかもしれないが


それは

“一緒にお店を探した“、“落ち着いた環境で会話をした“など

食事とは別の要素が関係しているのではないだろうか。

だから
愛情がない相手と食事をして
機能として破綻しているマナーを厳守し、

ストレスを感じてしまうという

リスクを背負ってまで、

食事を利用する必要はないのだ。

例として、


学生時代と比べると、
学生じゃなくなってからは

友達や恋人が作りづらくなったという人は
多いのではないだろうか。

それはおそらく、

学生時代には今と違って
共同作業の機会が頻繁にあったから
ではないだろうか?

学生時代には
同じ空間で何かを学んだり、
同じ目標に向かって何かを練習をしたり

といった共同作業の機会が沢山ある。

出会ったばかりの人との親交が深まりづらく、

友達や恋人が作りづらくなってしまったのは

共同作業の機会が減ったからだと思う。

つまり
出会ったばかりの相手と
親交を深めたければ、

何か共同作業の機会を作れば良いのであり、

その機会が食事である必要はない。

だから
愛情が足りていない相手と
わざわざ食事をする必要はないし、

一人で、または愛情がある相手とだけ食事をすれば

食事のマナーは必要ない

食事のマナーは厳守しなくてもいい

これまでの説明から、自分は
食事なマナーは厳守しなくてもいいと考えている。

なぜなら食事のマナーは個人的に楽しむためにあるからだ。

ただ、例外として趣味を楽しむために必要なマナーもある。

そういった必要なマナーは守ったほうが良い。

「食事のマナーに人柄が出る」という意見については、

食事のマナーで人柄を判断することはできないから
気にする必要はない

また、愛情が足りていない相手と食事をする場合には
マナーが必要になるが、

一人で、または愛情がある相手とだけ
食事をすれば食事のマナーはそもそも必要がない

だから自分は食事のマナーは気にしていないし
基本的に一人で食事をするようにしている。

コメント

  1. […] そもそも自分は思想面でも一人で食事をしたい人間だからこれをデメリットだとは感じていない。 […]

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